静岡県裾野市の保育所において、1歳児の園児へ複数の保育士による虐待があったことが報道されています。
聞くだけでも寒気がするようなひどい内容で、それが保育所で行なわれていたことに衝撃を受けました。
1日も早く子ども達の心に平安が訪れることを祈るばかりです。
上記のようなことは論外として、かつて体罰は教育か加害か、という議論があり、今では当然加害とされています。
言うことを聞かない相手を暴力で服従させようとする行為は、害を受けた側からすれば自分を萎縮させ、尊厳を踏みにじられることに他なりません。子どもは未熟だから大人がしっかり教育しなくてはならない、という論がありますが、未熟だからこそ失敗もありますし、大人はその失敗をダメなものとして処理するのではなく、成長できるチャンスととらえて一緒に受け止めてあげるほうが良さそうです。
例えば注意された子どもが言うことを聞かず、ヘラヘラと笑っていたりふざけ続けたりすることがあります。それを見て大人は「自分の言っていることが通じていない」と考え、より強い言葉で注意するようになります。これを子どもの立場から見ると、「怒られていることはわかるけど、それだと心が傷ついてしまうから、笑ってふざけてバランスを取ろう」という自分を守ろうとする当然の行動となります。
人は大人でも子どもでも、自分が納得したこと以外は受け入れないし、行動に起こしません。強い注意で渋々言うことを聞いても、それは根っこまでは届かず、また同じことを繰り返します。大人の目的が「望ましくない行動を改めてもらう」であるなら、子どもの気持ちを理解しながら怖がらせず、それでも大人はその行いを直してほしいと考えていることを伝え続けるのが、より合理的な考え方になります。
一人のひとが伝えても変わらないのであれば、人を変えて同じことを繰り返し伝える・しっかり目線を合わせて穏やかに伝える・抱っこするなどの安心感を持てる体勢をとりながらお話をする等、やり方を変える方法も良いかもしれません。
「厳しい指導のおかげで成長できた」という経験を語る人がおりますが、成長は本人の頑張った結果で、厳しい指導は関係ありません。これは「嫌だった指導を我慢したから今の自分があると考えなければ、過去の自分がかわいそうな存在になってしまう」という気持ちの裏返しなのではないでしょうか。
「指導」の際に大声をあげて威嚇したり、脅すようなことを言ったりすることは、実際には指導そのものには関係なく、成長を促す肯定的な声かけの方が効果が高いと言う研究結果もあります。最近はスポーツの指導でも、選手の人格を否定するような言葉は叱咤激励ではなく誹謗中傷であるとされ、絶対に行わないようにする流れになっています。
導き手だからこそ一時の感情ではなく、長期的な信頼関係を築く言動を心がけたいものですね。
園長 橋本貴志