一月往(い)ぬる二月逃げる三月去る、と申しますが、逃げるように2月はあっという間に過ぎ、気づけば3月です。
毎年この時期になりますと新年度の準備を少しずつ始めていくのですが、私個人がまず最初に行うのは、行事日程をカレンダーに書き写す作業です。
今井保育園はもちろんのこと、他団体の行事や家族の予定など、書き込んでいくとあっという間に日程が埋まり、思ったよりも余裕がないぞ、一年なんてあっという間だな、などと、もう終わったかのような錯覚を覚えます。
日々変わらないような気がしますが、その一日いちにちが積み上がり、1年を過ぎる頃にはそれなりに大きな成果になる、というようなことを考えたりもします。
最近、次のような詩を読みました。海外のもので、読み人知らずのものだそうです。
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『今日』(伊藤比呂美訳)
今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつはだんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが
床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだとおもう
人に見られたら
なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか今日一日、何をしてたの?とか
わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた
ほんとにいったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?
今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって
そしてもし、そっちのほうがほんとなら、わたしはちゃーんとやったわけだ
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子育てというのは正解がなく、時に徒労に終わってしまったような気持ちにさせられるものです。もちろんそんな訳はないのですが、最近ではSNSなども普及しているため、どうしてもよその誰かの様子が目に入り、自分と比べてしまって、なんとなく気持ちが落ち込んでしまう、なんていうことも珍しくはないでしょう。
実際は、子どもの成長という掛け替えのない大事業に携わっているのですから気落ちすることはありません。この詩はそのように勇気づけてくれているような気がします。
いよいよゆり組さんが卒園する3月です。それぞれの一日いちにちが「ちゃーんとやった」素敵な日だった、と思える、素敵な1ヶ月になりますように。
園長 橋本貴志