体罰としつけ

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子育てをしていると「体罰」と「しつけ」の関係について考えることがあるのではないでしょうか。
最初にお伝えしておくと、この二つはまったくの違うものであり、「体罰」はいかなる理由でも許されない行為です。

圧倒的な力の差がある者同士で、不利な立場にいる者は、声をあげることはできません。これが大人と子供の関係にも当てはまります。
大人からすれば「軽くたたいただけ」「軽くつねっただけ」「愛情表現のひとつだ」といったところで、子供の心身に痛みを感じさせる行為すべてが恐怖を植え付ける体験であり、「体罰」なのです。

しつけのために体罰を使うことは、恐怖による支配に他なりません。
この「体罰」には「言葉による暴力」も含まれます。

体罰問題に取り組んでいる方の講演会で、会場からの「しつけと体罰の境目はどこにありますか?」という質問に対し、講演者は「その質問は体罰を肯定する意味を含んでいるので回答できない。体罰を使わなくてもしつけはできます」という回答をされていました。

しつけは「躾」という文字の通り、立ち居振る舞いを美しく見せるためのものであり、マナーでもあります。
子供の自由な発想や行動はその子の成長に必要なことであり、上記のような立ち居振る舞い・マナーを獲得する前の土台として十分に体験していなくてはなりません。
これら立ち居振る舞い・マナーは子供が成長し、理解できるようなった時に伝えていけば良いことです。

自分が子供の時の経験から、体罰もやむをえないと考える方もいると思います。
しかし子供だった自分はそれをどう感じていたでしょうか?
子育ては自分の育て直し、子供の頃に嫌だったこと、して欲しかったことをやり直す機会でもあります。
自分自身をどう育てたいか、もう一度考えていただきながら、お子様とコミュニケーションをとっていただければ幸いです。