今月は「いもっこまつり」で焼き芋を焼きました。
ゆり組さんが自分たちで掘ったサツマイモを、手伝ってもらいながらも自分たちで焼き、ばら組さん、すみれ組さんに振る舞うという趣向です。
初めて火を見て顔がほてることにとまどう子がいれば、もくもく上がる煙のにおいを「くさい!」という子がいたり、反応はさまざま。焦げがついたイモを前に最初は戸惑いながら、後には濃い甘さに夢中になって多少無理してでも食べようとする様子は、子ども本来のもつたくましさを感じる場面です。
普段の食事とは違い、五感を同時に使ってのよい体験となったのではないかと思います。
私たち大人は子どもに比べれば、ずいぶんとたくさんのことができます。そこで幼い子を教え導くことが良識ある大人の役割、と思いがちです。ところがどうやら子どもは大人が期待するほど教えてもらいたいとは考えていないようです。
それよりも自分自身が体験したこと、考えたことを中心に自分自身の世界を作り上げていきます。これは体の発達が一段落する8才前後まで続き、木がたくさんの枝葉を伸ばすように興味のおもむくまま遊び、学びます。
先日見学にうかがった保育園でこんなことがありました。その園の園庭には木登りができる太い枝が伸びた木があります。その脇で3才の園児さんが保育者に木登りをせがんでいました。どうやら年長組のお兄さんが登っているのを見てうらやましくなったようで、枝に乗せてくれと言っているようです。しかし保育者はお手伝いすることもなく、園児さんは木に登れませんでした。
しばらくして、「みてー! みてー!」という声が園庭に響きました。声がする方を見ると、先ほどの木登りをせがんでいた園児さんが木に登っています。自分自身の力でよじ登れたようです。その時、その園の園長先生がおっしゃったのは「登れた子は降りられます。登らされた子は降りられなくて怪我をします」という言葉でした。
大人がやってしまえばそれほど難しいことではなくても、子ども自身が行なうことだけが枝葉を作ります。この枝葉がどれだけ茂らせることができるかが、大人に与えられた役割なのかもしれません。